2017年 12月 13日
虚しさにとらわれたとき |
ときどきひどく虚しくなってしまうことがある。理由はわりとはっきりしていて、自分が何ら意味のあることをしていない気がするからだと思う。
朝早く起きて満員電車で会社に向かい、夜まで働き、混み合った電車で帰宅して泣き叫ぶ子どもをあやし、ぐったりとして酒を飲み、眠る。その繰り返しのなかに、自分という人間が生きていることの意味を見いだせなくなるのだ。
「意味なんてないんだよ」と、はっきり言いきってしまえれば楽なのだろうと思う。「俺の人生に大した意味なんてないんだよ」と。
それが事実なのだとしても、もう一つの事実は、僕が「意味を感じられるような何かに挑戦さえしたことがない」ということだったりする。
言ってしまえば、それは音楽であり、文学であり、映像であり、そういった作品を創造することである。僕が情熱を感じられるのはそれくらいであって、金を稼ぐことにも会社で出世することにも高い車に乗ることにも興味なんてない。そういうのはくだらないと思っているくらいだ。
子どもが生まれた段階で、自分のための時間はほとんどなくなるものだ。それは予測していたことではあったし、だからこそ当初は子どもをつくることに決心がつかなかったりもした。
でも、いくぶん曖昧な周囲の誘導によって、けっきょく子どもは生まれた。
これがいわゆる“中年の危機”みたいなものの始まりなのかどうかは、正直なところよくわからない。でも、どこかで一回くらいはちゃんと意味のある「挑戦」をしておかないと、死ぬときに後悔することは目に見えている。
「挑戦」というのは、生活のリズムを変えるということなのだと思う。生活のなかに、その時間とエネルギーを確保するということだ。
惰性で定まってしまった今のリズムを見つめ直し、そのなかに自分にとって意味のある行為のためのものを確保する。そうしなければ、僕という人間はゆっくりと腐っていってしまう。
人生は短い。
by tanzeallein
| 2017-12-13 12:39
| 随想
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